お昼のアヒル

思いついたときにいろいろ@noduckon

ガキ使のブラックフェイス問題に関する整理

お久しぶりです、井山アヒルです。

だいぶ派手に放置しておりすいません……秋ごろから年末まで非常に忙しかったのとUSUMの攻略に着手していたので更新のタイミングがありませんでした。

ひとまずUSUMの育成環境が整ったのでこれから更新を再開しようと思っています。今現在は構築を考案して育成に入っています。

ハースストーンも落ち着いてきたら動画投稿を再開したいと思っています。

 

 

で、今回はポケモンもハースストーンも関係なく、今炎上してるガキ使のブラックフェイス問題に関する意見整理です。

ツイッターの別アカウントで意見整理していたのですが、前提の積み重ねがツイッターだと難しかったので、ブログで整理をしていこうと思います。

基本的に思考をスタックして振り返りながら整理していくので、読み物というよりはメモ帳です。

 

 

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問題の確認

今回問題になったのは2018年末ガキの使いやあらへんでの笑ってはいけないシリーズで、浜田だけがエディマーフィーに扮して出てくるというもの。

これに対して黒人のツイッタラー(黒人も差別用語だが「アフリカ系」だと話が見えづらくなるので今後もこのように表現する)が反発。

 国際的に大きな議論になっている。

いろんな意見を見ていくと、主には「黒人を差別する意図なんてないんじゃないのか?」「差別だと思うから差別になるのではないか?」とか。

 

基本的な疑問(1)

[1]なぜブラックフェイスがダメなのか?

[2]ドゥーワップ(ドゥーワップ - Wikipedia)はなんでダメなのか?

 

疑問(1)の検討

[1]発端となった方がハフポストのインタビューに答えているので読んでみる。

www.huffingtonpost.jp

本文によれば、"半分の私は、日本のテレビコメディーや音楽でブラックフェイスを見るたび、見下されたような、馬鹿にされたような、そして表面だけを見られて、人間性を否定されているような気分になります。

私の肌の色が、私自身の人間性が、芝居の小道具、あるいは脚本にされたかのように感じるのです。"

ここがブラックフェイスがダメだと言われる大きなひとつの理由であるらしい。

しかし、ブラックフェイスという記号が、人間を表面的に表現し、人間性を否定するような意味合いを持つ、というのは個人的には理解できない。これはラッツ&スターのようなブラックフェイスを利用したコメディにふれたことがあるからかもしれない。

そうでなくても、日本は「ものまね歌合戦」など物真似がお笑いのネタにされることが多く、それらが許されてブラックフェイスが許されない理由はどこにあるのか? というのは疑問に思われる。

他に本文中で気になった点として、

"この問題を解決する方法は、非常にシンプルです。こういう(黒人が登場する)シーンには、日本語が話せる黒人...できれば日本語が話せる黒人の俳優を起用すればいいだけです"

"もしくは、番組制作者が「日本人のブラックフェイスは面白いので、黒人を怒らせたとしてもしかたない、それがまさに視聴者が見たいものだ」と考えていることを認めて、その「結果」にも対処することでしょうね"

 

[2]wikipediaを見れば雰囲気はつかめるが、上記インタビュー中で触れられているようにブラックフェイスでドゥーワップをやったアーティストのひとつが「シャネルズ」だったため、話が上がったものだと思う。

 

疑問(2)

[1]ブラックフェイスを身近に感じられるような、日本人に置き換えた差別例はないか?

[2]ブラックフェイスが特別ここまで問題になる理由は何か? ほかの物真似はいいのか?

[3]ガキ使の該当シーンで、例えば浜田の代わりにボビーオロゴンが出てきたらそれは問題ではないのか?

[4]ブラックフェイスを面白いと思う理由は何か?

 

疑問(2)の検討

[1]いくつか日本が差別の対象になる事例を確認してみる。

wakuwork.jp

america-seikatsu.com

幸運というべきか、外国人から差別的な言動を受けたことがないのもあり、あまり実感がわかない部分がある。

一方で、最近の「嫌韓ブーム」とでも言うべきか、熱狂的な韓国への反感意識はツイッターでも頻繁に見受けられ、日本人が直接的に韓国を侮辱している事例はよく見られる。

こういう事例と対比してみると、ブラックフェイスの問題は日本からすれば他人事的というか、非直接的な差別行為のように思えて実感がない。外見的な差別では"イエローモンキー"とか釣り目のジェスチャー(最近ダルビッシュがやられてたやつ)とかがあるが、個人的にはあれが目くじらを立てて批判されるようなことだとは思えない。

人間に特徴があるのが当たり前で、それを指摘されるのは仕方ないことというか、普遍的にあるというイメージがあるのかもしれない。良くも悪くも日本の社会はレッテルが多い。慣れがあるのかもしれない。

話に上がったのでダルビッシュ選手の話もおさらいする。個人的にはかなり大人なやりとりというか、好きな話。

【ワールドシリーズ】グリエル「ダルビッシュへの人種差別行為」の波紋

news.yahoo.co.jp

意図的な差別行為は当然良くないんだが、じゃあ意図的ではない行為が差別として取られたらどうなるのだろうか? という話もある。日本人は「外人」とか「黒人」とか当然のように日常で言うが、大して彼らを差別している、という意識はない。ただまあそれは「かたわ」「めくら」なども同じだったわけで。

果たして今回のブラックフェイスは黒人を差別する意図があったのか?

 

[2]先のインタビュー記事は筆者本人が「嫌だ」という気持ちの表明であったので、なるほどそういうのがこういう理由で嫌だというのはわかる。

では、他の物真似はいいのか? 日本のコメディはこと物真似で笑いを取ることが多い。コロッケとか、小栗旬の物真似をしているおばたのお兄さんとか、ゴッドタンのマジ歌選手権でちょくちょく物真似している(今年は片岡鶴太郎だった)劇団ひとりとか。

実際これらがいいわけではなくて、物真似で不仲説がうわさされることはしょっちゅうあるし、おばたのお兄さん小栗旬に物真似の許しと謝罪のためにお伺いを立てたこともある。

藤原竜也とGたかしは不仲で共演NG?行列でものまねに激怒?

じゃあダメな物真似と良い物真似を区分けするものはなんだろう? これはもう単純に「物真似される側が嫌かどうか」でしかないのは明らかだ。物真似という文化そのものが、そういう危うさの上に立っている。

つまりは、ブラックフェイスだからダメ、というわけではなくて、物真似された側(この場合物真似されたエディマーフィーではなくブラックフェイスを不快に思った黒人だが)が嫌だと思った時点でそれは物真似としてダメで、今回は歴史的に根深い人種差別でいろんな識者に通じてしまったから大事になった、というだけなのでは、と思う。

(ところでエディマーフィー本人はこのことについてどう思っているんだろうか?)

 

[3][4]内容が前後するので一度に整理する。

なんでブラックフェイスが面白いと思われるのだろうか?

news.nicovideo.jp

ここで説明されているように、エディマーフィーがビバリーヒルズコップを演った時のコスプレをしているらしい。

 

浜田雅功がガキ使でエディーマーフィ―に!?まさかの黒人に大変身!

ブラックフェイス批判の関連コメントで話が流れて初期の反応がさかのぼりづらいのですが、いつもおかっぱの女装をしていたのでそことのギャップも笑いを誘っていたらしい。(ある意味ではこれまでおかっぱの女装をしていたのもどこかミソジニー的な感じがあったのでは?)

outidesigoto.com

劇中でも注釈が入るくらいなので、演出上は「一人だけエディマーフィーのコップ」っていうのが受け狙いだったんだろうというのがわかる。一方で「突然黒人が出てきたから笑った」というのもそれはそうなんだろう。

ボビーオロゴンがビバリーヒルズコップの恰好で出てきたらそれはそれで面白いんだろうが、あくまでバスに乗るのは浜田なのでボビーオロゴンが出てきたところで脚本的に立ち行かないのはまあ当然。批判の的になっているように、そもそもビバリーヒルズコップじゃなければここまで炎上しなかったというのもそう。

ただ、ここでボビーオロゴンが出てきたときに、それがブラックフェイスの文脈において問題にならないのはそうだろうが、黒人差別の意図を本当に含まないと言えるだろうか? というのは疑問になる。ボビーオロゴンじゃなくても、出川哲郎とか綾小路きみまろとか誰でもよかったのかもしれないが、ボビーオロゴンを出すことで黒人差別につながる可能性はそれはそれであったんじゃないか?

もっと言えば、ボビーオロゴンは外国人芸能人として活躍しているが、彼が日本語が下手だったり文化の違いがあったりすることをネタにすること自体差別的文脈をはらんでいるのではないか?

というところを考えると、「黒人俳優を起用すればよかった」という方法論的主張は、ブラックフェイス問題につながることを避けられるという姑息な解決方法でしかないのではないか、と思う。いやまあ実際どうなってたかは実験できないからわかんないけど。

さて、ブラックフェイスがなぜ面白いかは個人的によくわかってないので、いくつか資料を読むことにする。

ブラックフェイス - Wikipedia(結構ミンストレルの項は擁護的主観を含んでいるような気がしてあまり好きではない)

ミンストレル・ショー - Wikipedia

(このページを見ていると、アメリカの映画で黒人が陽気で気楽なコメディリリーフキャラクターとして描かれやすいのが、このころの黒人差別の尾をひいているのだろうかと邪推してしまう)

ここらへんを見ると、黒人への差別的意識からくる嘲笑だけでなく、黒人の人格や外見を誇張してコメディを演じることで"黒人を使って笑いを取る"というところに批判の原点があるように思われる。ブラックフェイスそのものの面白さは黒人への差別意識と特徴の誇張による違和感の増大からくるものだろうか。

さて、前者は結構問題で、ブラックフェイスに関する今回の問題で重要なのは"黒人を差別的に扱うことで笑いを取ったか"ではなく、"黒人を使って笑いを取ったこと"、ミンストレル・ショーに通ずる方法的に差別的な笑いを使ったことにあるようだ。

 

疑問(3)―+まとめ

[1]果たして今回のブラックフェイスは黒人を差別する意図があったのか?

ここでいろいろ読んでたらかなり核心的な記事に出会ったので引用する。

www.excite.co.jp

"現実問題として、現在のアメリカのエンタメ業界ではブラックフェイスは禁じられています。

それは1950年代、公民権運動の中でNAACP(全米黒人地位向上協会)の運動の成果によって黒塗りが差別的だと批判されるようになったから。それに加えて、1980年代以降多文化主義という考え方が広まって異なる文化を尊重しようという流れが文化の領域でも広まったのが決定的です。"

"これまで述べてきたような文脈が成立し、かつ、現在もアメリカのエンターテインメント業界で「黒塗り」が差別的な表現としてみなされている以上、どう考えていようと彼らのメイクはアメリカでは“差別的なブラックフェイス”を再生産していると受け止められてしまいます。"

"文化的基盤が全く違う相手と共存していく社会で重要になるのは、“差別”という形式を満たすかどうか、結果的にどうなったかということなんです。僕はそれがまったき他者と共存していく中でアメリカが出した1つの解答なんだと思っています"

"何が正しいかではなく、その時にコンセンサスを得たのはどちらかというのが大事なんです。

“なにをもって差別的とみなすか”というのはその時々のコンセンサスによって形作られるもの。極端に言えばこれは言説闘争なんです。

異なる文化を持つ他者がいる社会においてはどの時代にも通じるコンセンサスを作るということができない。だから、アメリカ人には意見を言って権利を勝ち取っていくという意識が非常に強い。

今回の件で学ぶことがあるのならば、一時的に決まったことを大事にするんじゃなくて、物事が議論の中で決まっていくプロセスを大事にすること。

“これが差別”という唯一絶対の解答はなくて、これまで行われてきた議論の上に立つこと。将来的に黒塗りに対する解釈は変わる可能性があるにしろ、これまで先人の積み重ねてきたプロセスを考えると現在では黒塗りはできないのだということを理解してほしいですね"

 

つまるところ、今回のブラックフェイスに関する一見すれば圧力的な批判は、白人と黒人が紡いできた差別の歴史とそれを踏み越えるために得たコンセンサスの結果なわけで、日本のこれに対する反発は白人が通ってきたはずの轍だろう、ということになる。

garuko.com

インターネットではこの件について日本人から口汚い罵りが続出していて危うい。

勘違いするべきではないのは、黒人差別にはこのような歴史が存在していて、我々はその歴史に対して敬意を払うべきだということである。踏みならされた轍を掘り起こして、表現と差別の正しい落としどころについて最初から議論することに大した意味はない。やるならば、これまでの歴史・議論の経過を勉強した上で、初めて次のステップへの議論ができるのだ。

www.naacp.org

先に整理したように、レディーガガの物真似であるとか、日本で普通に行われている物真似はあくまで当人が嫌ならそれがダメになって、その時に問題になるわけである。何なら、問題にならなければやっていいわけではなく、他人の物真似で笑いを取る、という行為がそもそも本質的に差別の側面を含んでいるのかもしれない。それこそ、100年以上前からそのあたりのすり合わせの努力が入念に行われ続けてきた結果が今の黒人差別に対するコンセンサスなわけである。

日本人はこの歴史に疎く、ブッシュマンなんかで一度問題になった割には外国人タレントを笑いものにしていたりと差別問題に対する意識が弱いのもあって、頭ごなしに差別と表現の線引きを押し付けられることに対して反感を抱いている、というように見える。

 

冒頭の批判で言及されていたように、2020年東京オリンピックが鼻先に迫っているので、まずこういう先進したルールを知り、広めていくことが最重要課題のひとつなのだろう、と思う。